2011年4月6日水曜日
コミュニティをつくるということ ③
価値あるつながりとは??? ① 自分を高められるつながり(向上できる) ② 自分の好奇心を満たしてくれる(関心領域が近い) ③ 自分の価値を認めてくれる(承認欲求) 他にもあるだろうが、代表的なものをあげるとこんな感じではないだろうか。。。 以上、3つの領域について、ちょっと分析をしていきたいと思う。 (つづく)
コミュニティとSNS
【SNS】とはソーシャル・ネットワーク・サービスの事である。 <人と人のつながり>をサポートするツールでありサービスと言える。 【SNS】を使う目的は、コミュニケーションをとることだと言われる。 友達、趣味や興味が共通の知人、出身校や居住地域や出身地が一緒の知人など 「友達の友達は友達」という具合に<つながり>ができる。 ひと昔前のつながりとは・・・
- 実際に会ったことのある人だけの<つながり>
- 手紙や電話というツールを使った<つながり>
- インターネットを中心としたIT(情報)革命を経過して
- メールや掲示板、ブログを使う<つながり>が出てきた。
- MixiやFacebookに代表される【SNSを使った】<つながり>の登場である。
- ブログ
- 2ちゃんねるに代表される掲示板
は、匿名性が特徴であり、
自分の正体を隠して、好きなことを発言したり書き込んだり、 人の書き込んだ内容を自由に読むことが出来た。 「不特定多数の人との自由な情報交換」 言いかえると、お互いの「顔」が見えない匿名でのやりとりが中心だった。 自由さや気軽さを十分満たすものであった。 反面、心ないコメントに傷ついたり、事実に基づかない誹謗中傷がイジメや自殺といった事件も起きた。 知っている人同士が手紙や電話でコミュニケーションを とっていた時代から、IT革命後の匿名コミュニケーションの時代になり、 今、Facebookという全世界に5億とも6億ともいわれる実名を公開して より「信頼関係」を基礎としたコミュニケーションへと移行してきた。 本来、人間が求める、コミュニケーションが「信頼関係」を基にしているとすると 2004年に開発されたFacebookというツールが全世界に一気に広がり、 全世界人口の約10分の1がこのツールを使うようになった事は偶然ではないと考えられる。 このFacebookという信頼関係を基礎としたコミュニケーションツールを工夫して 使いこなすことによって、先進的なコミュニティが出来るのではないかと仮説を立てたい。2011年4月5日火曜日
コミュニティの進化
コミュニティの進化について考えてみたい。
おそらく、一番原始的なコミュニティは家族や親戚といった血縁だろう。
これは本能的なもので、特に社会的な進化を必要しないと思う。
人類が三代生存できるようになり、親戚で群れを作れるようになったとき、 生存リスクが大幅に軽減されたことだろう。
誰かが病気になったり、食料が取れすぎたりしたときにもリソースなどを平準化できる。
知識も継承しやすくなる。
その次は、「村」という単位。血縁に対して地縁と表現してもよいかもしれない。
同じ地域に住む人達で形成される共同体で、必ずしも直接的な血縁関係はない。
これによって、さらに生存リスクは少なくなり、また血縁関係にない者との争いも少なくなった。
村に生まれたら自動的にそのメンバーとなる。
村の存続を最重要課題として行動することを求められる。
安定した食料調達方法、文字、法律と契約、政治、通貨といったものが発明され、「村」は「国」と呼ばれるまでに大きくなった。
これらの発明は現代社会からすると当たり前だが、非常に重要である。これがなければ、国にまで発展しなかっただろう。
先進国においては、餓えたり、内紛に巻き込まれるということは少なくなってきた。
国のシステムを脅かさない範囲で、人々は「移動」ができるようになった。
また、自由経済発明後は特に自由度が高まった。
1995年頃。パソコンとインターネットが一般に急激に普及し始めた。
情報がbitに変換されて、ほとんど追加コストなしに瞬時にやりとりされるようになった。
そのうちに、通貨、約束、感動、信用といったものもbitを介して表現されるようになってきた。当初はリンク付き文書閲覧ツールだったWebが、eBayのような取引や、Facebookのような人間関係の構築にまで使われるようになってきた。
これまでは物理的な距離や、通信方式のコストと表現能力に縛られていたが、この制約がほぼなくなった。先進国においては、生存を脅かされることも少ない。
そうなると、コミュニティはどう進化してくるだろうか?
※たぶん後編に続く
おそらく、一番原始的なコミュニティは家族や親戚といった血縁だろう。
これは本能的なもので、特に社会的な進化を必要しないと思う。
人類が三代生存できるようになり、親戚で群れを作れるようになったとき、 生存リスクが大幅に軽減されたことだろう。
誰かが病気になったり、食料が取れすぎたりしたときにもリソースなどを平準化できる。
知識も継承しやすくなる。
その次は、「村」という単位。血縁に対して地縁と表現してもよいかもしれない。
同じ地域に住む人達で形成される共同体で、必ずしも直接的な血縁関係はない。
これによって、さらに生存リスクは少なくなり、また血縁関係にない者との争いも少なくなった。
村に生まれたら自動的にそのメンバーとなる。
村の存続を最重要課題として行動することを求められる。
安定した食料調達方法、文字、法律と契約、政治、通貨といったものが発明され、「村」は「国」と呼ばれるまでに大きくなった。
これらの発明は現代社会からすると当たり前だが、非常に重要である。これがなければ、国にまで発展しなかっただろう。
先進国においては、餓えたり、内紛に巻き込まれるということは少なくなってきた。
国のシステムを脅かさない範囲で、人々は「移動」ができるようになった。
また、自由経済発明後は特に自由度が高まった。
1995年頃。パソコンとインターネットが一般に急激に普及し始めた。
情報がbitに変換されて、ほとんど追加コストなしに瞬時にやりとりされるようになった。
そのうちに、通貨、約束、感動、信用といったものもbitを介して表現されるようになってきた。当初はリンク付き文書閲覧ツールだったWebが、eBayのような取引や、Facebookのような人間関係の構築にまで使われるようになってきた。
これまでは物理的な距離や、通信方式のコストと表現能力に縛られていたが、この制約がほぼなくなった。先進国においては、生存を脅かされることも少ない。
そうなると、コミュニティはどう進化してくるだろうか?
※たぶん後編に続く
2011年4月3日日曜日
コミュニティをつくるということ ②
理想を共有できる仲間を集める。 この作業は、わかりやすく言うと友達さがしである。友達という「つながり」を求める人は多い。 しかし、みんな無益なつながりは求めていない。本当に価値あるつながりを求めているのである。 では、価値とはいったい何か? 実は、これがとても難しい。。。 まさに、言うは易く行うは難し!である。
コミュニティをつくるということ ①
「コミュニティをつくる」というと、まずコミュニティという枠組みをつくろうとするが、実は、それでは人は集まらない。 SNS等のソーシャルメディアの普及によって、Web上に簡単にコミュニティが作れるようになったおかげで、いまやコミュニティの数は無数にある。 しかし、その多くは数人しか存在しないかアクティブユーザーの殆どいない屍となったコミュニティである。 それでは、どうすればいいのか? コミュニティをはじめからつくろうとするのではなく、マーケットそのもの、つまり、理想を共有できる仲間を先に集めてしまうのである。
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